例の如く、カメランドでゲット。
5000と言われたが、革剥がれがあったので、2000円にまけてもらいました。
何故購入に至ったのか?
それは、このボディのヤレ。
天然のちりめん塗装?
塗装が劣化し、ポツポツ、ブツブツ。
あちこち塗装が剥がれ、下地の真鍮が露出。
凄まじいほどのダメージ。
でも、動く。
本当にスゲーカメラなんですよ、SPって。
ちょっと他のHPより、どれだけスゴイか引用。
1960年、当時の西ドイツのフォトキナ(2年に1回開かれる世界最大のカメラフェア)にアサヒペンタックス・スポットマチックの試作品が出品された。
この時代にTTLスポット測光ができる画期的な機能を持つこの一眼レフは世界中のカメラ関係者から注目された。TTL(Through The Taking Lens、撮影レンズを通して測光する)は、レンズを交換しても、また露出補正が必要な接写や顕微鏡撮影など、どんな状況にも正確に露出が得られる機能のことである。現在のカメラではごく当たり前の露出方式になったが、1960年当時では画期的な露出方式であった。それまでのカメラは、露出計が内蔵されていても、レンズとは別の位置にある受光部(セレンやCDS)から光を検出するものだった。受光角の問題から標準レンズの平均的な被写体には有効でも、レンズを交換したり、撮影距離が変わったとき厳密な露出は期待できるものではなかった。スポット測光とは非常に狭い範囲(例えば受光角1~2度)の光を計るもので、被写体のごく1部分の光を正確に計ることができる露出方式である。例えば、女性ポートレートでは被写体の顔と背景では大きく明るさが異なることがある(逆光はその顕著な例)。女性の肌をスポット測光すれば、背景の明るさに関係なく適正な露出が得られる。平均測光では、こんな場合プラス補正という面倒な操作をしないと人物はきれいに写らない。
1960年といえばまだライカM3やM2が華やかな現役の頃で、この露出システムがいかに進んでいたかを窺い知ることができる。
製品化され市場に現われたのはフォトキナの発表から4年経った1964年である。まだライカはM3、M2が主流で巻き戻しがクランクに変わったM4はこの3年後、1967年の発売である。
製品化されたアサヒペンタックスSPはスポットではなく平均測光になっていた。しかしボディにはSPOTMATICの文字がしっかり刻まれていた。あまりにも注目度が高かったためメーカーもこのロゴだけは外せなかったのかも知れない。実際の撮影ではスポット測光は使い難く、どちらかといえばプロ好みの仕様であり、一般撮影には平均測光の方が無難である。大衆をターゲットにしたメーカーの賢い選択だったに違いない。このカメラはたちまち人気機種になり、とにかくよく売れた。「ボーエンだよ、ワイドだよ」とまんがのオジさんが出てくるテレビのコマーシャルに記憶のある方も多いことだろう。発売価格は50mmF1.4付で51,000円。
解説ありがとうございます!!
本当はもっと長いんですが、割愛ww
「TTL」という言葉を作ったのもこの機体。
壊れにくく頑丈。
この価格設定、ライカを経営困難にさせる訳だわ。
では、惚れてしまったボディのディテールをご堪能あれ。
こんな感じ。
では、中は??
内部のつや消し塗装にテカリ無し!!
フィルム室も美しい。
しかし.....。
前オーナーがやったと思われる、稚拙な修理で、革がワヤww
次回は修理編と、更なるボディのディテールをアップします。
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